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Copyright © 2019 Peacetopia~韓国での暮らしを中心にあれこれと~ 

【博物館巡り】漢城百済博物館(한성백제박물관)〜百済の歴史と文化を知ろう〜




前回の特別展『ベトナムオケオ文化:海路で繋がる扶南と百済』の続きです。



漢城百済博物館(한성백제박물관)の常設展を観覧しました😃




百済はどんな国?



 百済は、今から約2000年前に現在のソウルが位置する地域に建国されました。その後、660年に扶余(부여/ブヨ)という地域で滅びるまでの678年間、朝鮮半島において発展した国です。高句麗、新羅とともに朝鮮半島に三国時代をもたらした国であり、なかでも最も華やかな文化が開花した国でもありました。

 百済が治めていた漢江流域では早くから鉄器文化と農耕文化が栄えたために、人々は他の国と比べて豊かな生活を送ることができ、また、華やかな文化・芸術も発展していきました。漢江は西海と繋がっていたため、百済は造船技術も発展させ、北東アジアにおける海上交易の中心地としても君臨したと言われています。

 近肖古王が統治した4世紀頃には、百済は最も広い領土と外交力を持つ強大な国となっており、その領域は朝鮮半島の北は大同江(대동간/テドンガン)、南は蟾津江(섬진강/ソムジンガン)までに達したとされています。また、その影響は日本の九州地方や中国の遼西地方、山東地方までに及びました。


(漢城百済博物館の日本語パンフレットより、多少言葉を修正しています)





博物館に入ってすぐに現れるのが、この風納土城(풍남토성)です。



一部を復元したものですが、かなりの大きさです😲



風納土城の城壁は横幅約43m、高さ12m以上、全周は3.5kmにまで及び、城内面積は約878,678㎡だったと推測されています。


非常に高い建築技術を用いて作られたこの風納土城は、250万tの土(15tトラック17万台分)と、年間で200万人以上の作業員が必要となる計算です。このような大規模な公共事業が可能だったということを考えても、百済が強大な古代国家であったことが分かります。





当時の漢城(現在のソウル)の様子です。



百済時代の漢城は、今のソウル南東部にあたる松坡区(송파구)と江東区(강동구)一帯に存在しました。


写真から分かるように、百済の正宮は漢江と風納土城に囲まれた敷地(写真の右下)の中心に建設されました。他にもこの敷地内には宮廷、官庁、王族及び貴族の住居、軍事施設、民家などがあり、土城の周りには主に一般の民衆が住んでいたとされています。百済が最も繁栄していたが4世紀頃には、この都に6万人の人々が居住していたと考えられています。




こちらは百済時代の住居の様子です。



漢江の恩恵を受け、百済は豊かで優れた食文化を生み出しました。


蒸したご飯に、キムチ(*)・塩辛といった発酵食品や塩気のあるものを食べていた他、酒や餅を作ったりもしていました。また、刺身などの魚介類も食べていたそうです。


こうして見ると、現代の韓国料理とあまり変わらない印象を受けますが、実際に韓国料理のルーツは百済の食文化に由来するものが多くあるとのことです。



(*)朝鮮時代中期に唐辛子が伝わるまでは塩、醤油、味噌などにつけたキムチが一般的だったそうです。





羅州の新浦里で発掘された支石墓群の甕棺(옹관)です。



この大きな壺の形をした甕棺に亡くなった人を埋葬していました。





陶器たち。





金銅靴と環頭大刀、金銅冠帽と金製のイヤリング。





当時の船〜。



百済は優れた造船技術を基にして漢江から西海や南海へ乗り出し、中国や日本と活発に交易していました。




七支刀です。



古代の樹木崇拝と道教を象徴している「七支刀」は百済が日本へ伝えたとされる鉄製の刀剣で、日本の国宝として現在は奈良県の石上神宮に所蔵されています。この刀剣は、熱しては叩くという作業を何百回も繰り返して鉄を鍛え、左右に三本ずつの枝刃を作り、金糸で文字を刻み込んで仕上げます。


当時の古代国家では、一方の国が刀を送るということは、その地域の支配権を認める両国の信頼関係を表す証であったことから、百済と日本の親善関係を表すものだったと考えられます。



 

百済金銅大香炉です。



扶余の陵山里廃寺から出土したこの大香炉は国宝第287号に登録されています。

(本物は扶余国立博物館にて展示中)


仏殿でお香を焚く際に使われたと考えられている香炉です。



詳細を知りたい方は、下のリンクで確認できます。



国立中央博物館:百済金銅大香炉




屋上からの眺めも良い感じです




博物館の屋上からの眺めです。



右側中央に見える土手が、現在確認できる百済時代の土城の一部だそうです🤓





百済は漢民族による最古の歴史書である『書記』を記したと伝えられていますが、残念ながら、現存していません。現在百済の歴史を知る手がかりになっているのは、高麗時代に編成された『三国史記』、そして、中国や日本の歴史書で、百済の歴史や人々の様子に関する記録は決して多くありません。



そんななかで、百済に関する資料や出土品等をまとめて展示しているのが漢城百済博物館。



興味のある方はぜひ。

(でも、歴史に詳しい方にとっては物足りなかったり、んんん〜?とも思ったりする箇所もあるかも…🤔)




ではでは🤗

どろん💫




◆◆◆参考ページ◆◆◆


KONEST:漢城百済博物館

Seoul Navi:漢城百済博物館


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作者: 昌

​韓国に来て早10年以上。いつかは仏様を描きながら世界中を旅するのが夢