【日記】8月6日は広島原爆の日〜毎年、平和について考えることの多い一日〜

最終更新: 2019年8月7日


原爆ドームと元安川(写真提供:広島県)

広島で育った私にとって、海外で生活していても、8月6日は平和について考える特別な日です。


広島と長崎の人々が直面した悲劇、そして、過去の戦争の歴史の中で様々な形で犠牲になった人々の人生について想いを寄せ、今ある平和に感謝するとともに、自分の日々の思考や態度(嫌なことあったら人のせいにしてるなぁとか、人に優しくできてないなぁとか、傲慢で謙虚な姿勢を忘れていないか、とか)の反省をする1日です。


原爆死没者慰霊碑からの原爆ドーム(写真提供:広島県)

小さい頃は、夏が嫌いでした。

その一番の理由は、戦争や原爆関連の特番やニュースが増えるから。


夏休み期間中で子ども向けに放送されているアニメも、この時期だけは「はだしのゲン」などの原爆に関する内容のものだったりして、恐怖で見れませんでした。


毎年8月6日付近にある登校日も、やることは原爆又は戦争に関するアニメ映画を体育館で鑑賞して、その感想文を原稿用紙に書くこと。


怖いし、悲しいし、辛いし、悲惨だし、、、、嫌でした。


広島平和記念資料館(写真提供:広島県)

この頃に観たアニメの映像もそうですが、広島市内にある平和記念資料館の展示品も、いまだに頭の中に浮かんできます。


8時15分で止まった時計、黒焦げになった三輪車、高温のせいで髪の毛がへばり付いたヘルメット、、、、今思い出してもとても恐ろしいです。

そして、現在はもう展示されていないという、燃え上がる瓦礫の街を歩き回る皮膚のただれた2体の人形……小学生の頃は、怖すぎて直視できませんでした。


地獄よりも地獄だと、そう感じました。


この資料館ですが、展示してあるすべての資料を見終えると、最後は平和公園を右手に見渡しながら続く長い廊下があります。

その終わりには来客者が自由に記入できるノートが置いてあり、世界中の人々によって書かれた平和へのメッセージを見ることができます。


とても穏やかな雰囲気の緑豊かな公園と世界中の平和を願うメッセージ。


平和の重要さと有難さを、心の底から肌で感じる瞬間です。



広島東洋カープの本拠地だった旧広島市民球場(写真提供:広島県)

大学生の時は、毎年夏には「原爆ドーム→平和祈念資料館→野球観戦」というコースで「広島を感じる日」という行事を一人で勝手に行なっていました。


資料館を見学した後は広島の街をゆっくりと眺めながら、再び原爆ドームへ戻り、道を挟んだ向かい側にある市民球場で野球観戦を楽しみます。


カープを観るところまでが私にとっての平和学習コース。



広島東洋カープは、原爆から復興する広島の人々を勇気付けるために、原爆投下から5年後の1950年に設立されました。


設立当初は財政難で、選手の給与もろくに払えませんでした。

そして、球団が解散へ追いやられそうになるも、その話を聞き付けた多くのファンが自分のお金を持って球場へやって来ました。

なかには、自分のお小遣いやお年玉を渡す子ども達もいたそうです。


これが、(広島県民やカープファンの中では)有名な樽募金です(球場や百貨店の前に置かれた酒樽にお金を入れていった)。



市民を支えた球団は、市民に支えられ、成長しました。



当時、「太陽が西から昇るようなことがあっても、カープが優勝することは絶対にない」とまで言われた弱小チームが、原爆投下から30年目の75年に優勝するまでの軌跡には、本気で感動、泣いちゃいます。


当時の優勝パレードに集まった人々の多くが、原爆の影響で亡くなった家族の遺影を持って涙していたそうです。



このような歴史を胸に、真っ赤に染まった市民球場で野球観戦をすると、こうして野球ができるという、平和に対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

そして、「原爆投下後、50年は草木一本生えないだろう」という言葉さえあったこの広島を、ここまでの国際平和都市に成長させた人々の力強さを思うと、広島で育った自分を誇りに思います。


カープの勝利のために一丸となって応援する真っ赤な光景を見ていると、人々が作り出すパワーのすごさを体感します。


そう。


人が集まれば、一つになれば、平和は作れるんだと、そう実感する瞬間です。






ここ数年、広島に行くことはほとんどありませんが、毎年8月6日には必ず広島市長の『平和宣言』を読みます。


真っ直ぐに、心に強く訴えかける宣言です。


 

<広島市長による平和宣言>


今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるのではないでしょうか。 特に、次代を担う戦争を知らない若い人にこのことを訴えたい。そして、そのためにも1945年8月6日を体験した被爆者の声を聴いてほしいのです。


当時5歳だった女性は、こんな歌を詠んでいます。 「おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱(いだ)きて母は阿修羅(あしゅら)に」 また、「男女の区別さえ出来ない人々が、衣類は焼けただれて裸同然。髪の毛も無く、目玉は飛び出て、唇も耳も引きちぎられたような人、顔面の皮膚も垂れ下がり、全身、血まみれの人、人。」という惨状を18歳で体験した男性は、「絶対にあのようなことを後世の人たちに体験させてはならない。私たちのこの苦痛は、もう私たちだけでよい。」と訴えています。 生き延びたものの心身に深刻な傷を負い続ける被爆者のこうした訴えが皆さんに届いていますか。 「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができると信じています。」という当時15歳だった女性の信条を単なる願いに終わらせてよいのでしょうか。


世界に目を向けると、一人の力は小さくても、多くの人の力が結集すれば願いが実現するという事例がたくさんあります。インドの独立は、その事例の一つであり、独立に貢献したガンジーは辛く厳しい体験を経て、こんな言葉を残しています。 「不寛容はそれ自体が暴力の一形態であり、真の民主的精神の成長を妨げるものです。」 現状に背を向けることなく、平和で持続可能な世界を実現していくためには、私たち一人一人が立場や主張の違いを互いに乗り越え、理想を目指し共に努力するという「寛容」の心を持たなければなりません。 そのためには、未来を担う若い人たちが、原爆や戦争を単なる過去の出来事と捉えず、また、被爆者や平和な世界を目指す人たちの声や努力を自らのものとして、たゆむことなく前進していくことが重要となります。


そして、世界中の為政者は、市民社会が目指す理想に向けて、共に前進しなければなりません。そのためにも被爆地を訪れ、被爆者の声を聴き、平和記念資料館、追悼平和祈念館で犠牲者や遺族一人一人の人生に向き合っていただきたい。 また、かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい。 今、広島市は、約7,800の平和首長会議の加盟都市と一緒に、広く市民社会に「ヒロシマの心」を共有してもらうことにより、核廃絶に向かう為政者の行動を後押しする環境づくりに力を入れています。世界中の為政者には、核不拡散条約第6条に定められている核軍縮の誠実交渉義務を果たすとともに、核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応えていただきたい。


こうした中、日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。


本日、被爆74周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。


令和元年(2019年)8月6日


広島市長 松井 一實



<子ども代表による平和への誓い>

平和公園内にある原爆の子の像(写真提供:広島県)

私たちは、広島の町が大好きです。

ゆったりと流れる川、美しい自然。

「おかえり」と声をかけてくれる地域の人、どんなときでも前を向いて生きる人々。

広島には、私たちの大切なものがあふれています。


昭和20年(1945年)8月6日。

あの日から、血で染まった川、がれきの山、皮膚がはがれた人、たくさんの亡きがら、見たくなくても目に飛び込んでくる、地獄のような光景が広がったのです。

大好きな町の「悲惨な過去」です。

被爆者は語ります。

「戦争は忘れることのできない特別なもの」だと。


私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。

「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。

二度と戦争をおこさない未来にするために。


国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。

みんなの「大切」を守りたい。

「ありがとう」や「ごめんね」の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。

自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。


大好きな広島に学ぶ私たちは、互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。 意志をもって学び続けます。 被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。


令和元年8月6日

子ども代表 広島市立落合小学校6年 金田秋佳 広島市立矢野小学校6年 石橋忠大




子ども代表による平和への近いは、さらに心に響きます。


特にこの箇所。



”国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。

みんなの「大切」を守りたい。

「ありがとう」や「ごめんね」の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。

自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。”



そう、これって普段の生活の中でできる、誰にでもできる平和への行動。

(最近特にできてねぇなぁ)


マザー・テレサの言葉を思い出します。



世界平和のためにできることですか?

家に帰って

家族を愛してあげてください。



はい。



【参考サイト】

広島市ホームページ(平和宣言【令和元年(2019年)】)

HUFFPOST(2019年8月6日掲載記事『広島原爆の日、小学生の「平和への誓い」から大人も学べる。「相手を知り、違いを理解しようと努力すること」』)

広島観光ナビ(フォト)※フォトダウンロードページ

作者: 昌

​韓国に来て早10年以上。いつかは仏様を描きながら世界中を旅するのが夢

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